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〔彦徳甲塚(けんどくかぶとづか)古墳〕

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 彦徳甲塚古墳は豊津町北部で、八景山に延びる豊津丘陵の一支丘にある。古墳は鞍部が広く平坦な丘陵尾根線の東側に位置する。北東方向には京都平野が広がり、南西側は今川中流の犀川町本庄周辺の盆地を眼下に見渡すことができる。標高は約四二メートル前後である。
 この一帯には、古墳時代後期の中小の古墳が数多く分布する。この古墳群の南部には六世紀後半代の直径二〇~五〇メートル程度の中規模古墳が甲塚方墳を含め五基点在し、北部の八景山周辺には同時期の直径一〇メートル前後の小古墳が十数基群集する。また、更に北方の行橋市竹並の丘陵地帯には五世紀後半から八世紀初頭にかけての横穴墓群が一五〇〇基程度営まれ、古墳時代後期では京築地区最大の墓地を構成していた。なお、甲塚方墳の西方約四〇〇メートルにある行橋市矢留の奥山古墳も五世紀以前の竪穴式石室を主体部とする古墳である。
 当古墳はその外観が雄大で、兜(かぶと)を伏せた形を連想させることから、甲塚の地名の由来となったと言われる。県内でも珍しい二重の周溝をめぐらすことから、昭和五十六年三月五日に県の史跡指定を受けている。しかし、昭和五十九年七月十四日宅地造成を目的として、突然重機による破壊を受けた。この際、内部主体として石室が存在することが確認されたが、学術的な調査をするには至らなかった。その後、昭和六十一年度から平成元年度にかけて、史跡公園化を図る環境整備工事が実施された(第11図)。また昭和六十二年度には周溝のトレンチ調査が部分的に行われた。

第11図 彦徳甲塚古墳全景(整備後)