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遺跡の詳細

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当古墳の現状は、昭和五十九年の破壊とその後の整備によって、旧状とはやや相違してきているが、破壊前の測量図(第12図)によって墳丘の形態を復原することができる。
 墳丘の盛り土は、周囲にめぐらした二重の周溝を掘削して得た土を利用したと考えられる。高さは標高約四八メートルで、墳丘周辺との標高差は北側で約六メートル、南側では約八メートルある。盗掘坑が墳丘南斜面にあり、地形も南側が低くなっていることから、石室の入り口は南側にあることが想像される。墳丘盛り土部分の直径は約二四メートルである。また、盛り土部分と内側の周溝との間には、幅一~二メートルの平坦面をめぐらしている。
 内側の周溝は、トレンチ調査の結果幅五~八メートルで、深さは北部で一・五メートル、西部では二・一メートルを計り、直径は東西径四二メートル、南北径四〇メートルである。また、内側の周溝と外側の周溝との間には幅二~四メートルの平坦面がある。外側の周溝は内側よりやや小規模で、幅三~五メートルで、深さは北部が〇・七メートル、西部が〇・六メートルである。直径は外周で東西径五六メートルである。内外の周溝とも北部で陸橋状に溝が切れる部分がある。なお、周溝の断面形は、両者とも基本的に逆台形をなす。

第12図 彦徳甲塚古墳測量図