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〔北垣(きたがき)古墳群〕

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 北垣古墳群は豊津町の南端で、祓川の西側の丘陵上に分布する(第27図参照)。この丘陵は内垣石と呼ばれるミカゲ石を産出し、南側の犀川町との境界をなす。本遺跡はこの丘陵本体から東部に枝分かれした小丘陵上に立地し、東側は祓川の沖積平野となっている。遺跡地は標高の高い南部で約九四メートル、低い北部で約七三メートルとなっている。沖積平野とは一〇から三〇メートル程度の標高差がある。
 豊津町南部の節丸地区は、古墳時代には祓川を挟んで東西両側の丘陵部に数多くの小古墳が築造される。西側の丘陵部だけみても、南北長さ約一・一キロメートルの範囲に五〇基以上の小古墳が分布すると予想され、京築地域でも有数の古墳時代の奥津城(おくつき)となっていた。これらの小古墳は幾つかの小丘陵を単位として数基から十数基で群をなす傾向がある。また築造された時期も五世紀後半から七世紀前半にほぼ限定される。当古墳群の所在地は大字節丸字北垣である。