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遺跡の概要

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古墳時代中期から終末期にかけての古墳群は当遺跡の中央部から南部に位置する。遺構は方墳四基と円墳一八基、小石室四基が検出されている。
 四基の方墳のうち3号墳は一辺が一二メートルで、主体部は破壊されていたが、周溝から仿製鏡一面、勾玉四点・小玉約四五〇点、竪櫛六点のほかに鉄製鋤先・刀子などが出土しており、五世紀初頭と考えられている。
 一八基の円墳は、河原石積みの横穴式石室であるが、後世の開墾でほとんど破壊され、石室は腰石部のみを残すものが多数である。しかし、床面から出土した遺物は豊富で、須恵器・土師器のほかに、鉄刀・鉄鏃、馬具、鉇、金環・銀環、勾玉・切子玉・丸玉・小玉などがある。これらの円墳の内部主体は祓川の河原石で構築した横穴式石室で、石室の形態は正方形、略正方形、縦長方形、T字形の四タイプがあり、羨道(せんどう)の形態も両袖、片袖、無袖の三タイプがある。造墓活動は六世紀後半から八世紀前半にかけてである。