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遺跡の性格

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当遺跡の古墳時代の墓地は、北部に横穴墓群が分布し、約一二〇メートルの間隔をおいて南部に古墳群が営まれている。墓地の時期は、ともに六世紀後半から七世紀前半である。横穴墓群は居屋敷横穴墓群の南部の支群にあたり、当古墳群の南方約二〇〇メートルの地域には川ノ上遺跡の古墳群が分布している。この徳永地区の居屋敷遺跡から川ノ上遺跡にかけての祓川右岸段丘沿いは、約一キロメートルにわたる古墳時代後期から終末期にかけての大規模な墓地としてとらえられる。そのなかで、古墳群と横穴墓群とが地域を分けて営まれていることは、それぞれを築造した集団が異なるものか、同一集団内での格差を示すものか、いずれにしても興味深い現象である。