ビューア該当ページ

遺構の詳細

300 ~ 302 / 1391ページ
発掘された古墳時代後期の竪穴住居跡は普遍的な形態のもので、平面形が四~五メートル前後の方形をなし、床面には四本の柱が配置され、壁面の一辺には作り付けのカマドがあり、四周の壁面下には周溝をめぐらす(第5表参照)。A地区での住居跡の分布にはわずかに規則性がみられ、二九メートルの等高線上に二棟平行し、六棟が二八・五メートル前後に並び、他の二棟は二八メートルの等高線上で切り合う。個別の住居跡の概要については第5表に示すので、ここでは代表的なA地区7号住居跡とB地区1号住居跡について紹介する。
第5表 源左エ門屋敷遺跡の古墳時代竪穴住居跡一覧表
(単位:メートル)
住居跡
番号
規模構造時期
長さ深さ平面形カマドの有無周溝の有無
A-2号4.45.70.20やや長方形不明6C第Ⅲ四半期
A-3号5.45.50.24ほぼ正方形6C第Ⅲ~Ⅳ四半期
A-7号4.14.80.18やや長方形6C第Ⅲ~Ⅳ四半期
A-9号5.04.60.28ほぼ正方形6C第Ⅲ~Ⅳ四半期
A-10号4.34.10.15ほぼ正方形6C第Ⅲ四半期
A-12号3.04.00.08やや長方形6C第Ⅳ四半期
A-13号5.05.30.06ほぼ正方形不明6C第Ⅳ~7C第Ⅰ四半期
A-14号3.94.60.02やや長方形6C第Ⅳ四半期
A-15号3.23.30.23ほぼ正方形無?6C第Ⅲ~Ⅳ四半期
A-16号不明不明0.05方形無?不明
B-1号4.74.50.07ほぼ正方形7C第Ⅰ四半期

 A地区7号住居跡(第30図)は調査区北部の標高二八・二メートル前後に位置する方形竪穴住居跡で弥生中期の円形竪穴住居跡を切る。平面形はやや東西に長い方形をなし、南北四・一メートル、東西四・八メートルである。柱穴は径六〇センチメートルの円形ないし楕円形をなし、柱痕跡は径一六~二六センチメートルである。カマドは北辺の壁面中央部にあり、周辺から須恵器・土師器などが出土している。また、周溝は四辺の壁面直下にめぐっており、幅三〇センチメートル前後である。出土遺物(第32図)のうち8は須恵器の杯身で、口縁部径一四・四メートル、器高は推定で三・三センチメートルである。10は土師器の甕で口縁部の径は推定一九・四センチメートルである。2は滑石製の紡錘車で、最大径四・五センチメートル、孔径〇・六五センチメートル、厚さ一・五五センチメートルで、断面形が台形をなす。

第30図 源左エ門屋敷遺跡A地区7号住居跡実測図

 B地区1号住居跡(第31図)はB地区北側中央部にあり、規模は南北四・四五メートル、東西四・六五メートルである。東西にやや長いが、正方形に近い隅丸方形をしている。主柱穴は四本、柱穴間は東西に一・九四メートル、南北に二・〇四メートルである。溝は壁面直下にめぐり、幅〇・三〇メートルである。住居内北壁中央部にカマドを有する。カマドは突出型で、周辺が熱のため赤く変色していた。出土遺物は住居内北西部やカマド内に須恵器・土師器が集中していた。
 これらの方形竪穴住居跡のほかに、この時期の集落を構成していた施設としては掘立柱建物跡がある。

第31図 源左エ門屋敷遺跡B地区1号住居跡

 5号掘立柱建物跡は調査区東辺中央部に位置する方二間の総柱建物跡で、規模は長さ・幅ともに三・三メートルである。柱穴は円形ないし隅丸方形をなし、径七〇センチメートルとやや大形であるが、柱本体は径二〇センチメートル前後と推定される。遺物は柱掘方から六世紀後半代の須恵器と数点の土師器が出土している。

第32図 源左エ門屋敷遺跡竪穴住居跡出土遺物実測図