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遺跡の性格

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源左エ門屋敷遺跡の古墳時代の遺構としては、一一棟の方形竪穴住居跡のほかに、掘立柱建物跡や溝の一部も含まれる。これらの遺構は時期的には六世紀後半から七世紀初頭のものである。竪穴住居跡についてみると、平面形はほぼ正方形のものからやや長方形をなすものまで若干の相違はあるが、大部分がカマドと周溝を持ち、主軸もN-約40°-WからN-約30°-Eの範囲にあり、更に平面規模も一辺が三・二メートルから五・五メートル程度で、特に大型のものはみられない。遺物の面でも碧玉製管玉が一点出土したほかは、特に顕著な鉄製品などの遺物を出土した住居跡もなかった。集落全体はA地区が所在する尾根の調査区外の南北に更に広がるものと予想される。竪穴住居跡の分布状況からみて、短期間ではあるがかなり大規模な集団が存在したと考えられる。