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〔呰見(あざみ)遺跡・カワラケ田遺跡〕

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 呰見遺跡・カワラケ田遺跡はともに、祓川によって開析された洪積台地の中流右岸の段丘上にあり、祓川からの距離は二〇〇メートル程度と近い。遺跡の標高は、三二~三六メートルである。
 両遺跡は県道節丸・新田原(しんでんばる)停車場線を挟んで近接し、ともに遺構の時期および性格が類似していることから、同一の遺跡を構成するものと考えられる。両遺跡の時代は古墳時代後期から奈良時代にかけてが中心であり、同時期の周辺遺跡としては、徳永川ノ上遺跡の古墳群、源左エ門屋敷遺跡の竪穴住居跡群がある。両遺跡から源左エ門屋敷遺跡までは直線距離で約九〇〇メートルである。なお、両遺跡の所在地は、呰見遺跡が大字呰見字峰・カワラケ田、カワラケ田遺跡が大字呰見字カワラケ田である。