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遺構の詳細

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発掘された古墳時代後期から終末期の遺構は集落関係のもので、一部は奈良時代に及ぶものもある。その構成要素としては、竪穴住居跡・掘立柱建物跡などが主な遺構である。
 竪穴住居跡は呰見遺跡の北西部に六軒が集中する。その形態は基本的に源左エ門屋敷遺跡と同じで、平面形態が正方形に近く、柱穴は方形に四本配置し、壁面下に周溝をめぐらし、壁の一辺中央部にはカマドを設ける。ただし周溝とカマドについては、確認されたものとそうでないものとがある。規模はやや小型のものが多いが、一辺が三・一メートルから六・六メートルである。3号竪穴住居跡(第34図)は呰見遺跡の北西部に位置する。住居跡の平面形は、カマド方向の主軸の長さが五・〇メートル、幅が五・二メートルで、ほぼ正方形である。主柱穴もほぼ正方形に配置され、径〇・三~〇・六メートルの掘方で、柱抜き跡は径〇・二メートル後である。カマドは北西辺の中央部に設置され、内部に石の支柱が立った状態で検出された。周溝は南東隅の一部が途切れるが、幅〇・一~〇・二メートルである。遺物(第35図)は須恵器の杯・蓋・壺・〓、土師器の甕、土製模造鏡、土玉、磨石、石鏃などが出土している。時期は六世紀後半から七世紀前半と考えられる。

第34図 呰見遺跡3号竪穴住居跡実測図(縮尺1/100)


第35図 呰見遺跡3号竪穴住居跡出土遺物実測図

 掘立柱建物跡は呰見遺跡の北部に集中し、建物の構造をみると方二間の総柱建物跡、梁間二間で桁行六間以上の長大な建物跡、片面に廂(ひさし)を持つ建物跡などがある。6号掘立柱建物跡(第36図)は、呰見遺跡北西部に位置し、一部が調査区外へ延びる。建物跡は桁行六間(長さ一三・六メートル)以上、梁間二間(四・二メートル)の身舎(もや)の北東辺に、一間(約一・〇メートル)の廂部が付設されている。柱穴掘方は身舎部では径〇・六~〇・七メートルであるが、廂部では径〇・五メートル前後とやや小さくなっている。柱痕跡は径〇・二メートル程度である。主軸の方位は、N-42°-Wである。
 これらの竪穴住居跡・掘立柱建物跡以外に、この時期の集落を構成する重要な遺構として溝状遺構がある。呰見遺跡1・2号溝状遺構は一連の溝状遺構で、調査区の北部東半に位置する。全体としては方形にめぐるものと推定されるが、東部は調査区外で確認されなかった。調査区北部の小谷と平行に走る南北直線部分は長さ五〇~六〇メートル、幅〇・八メートル、深さ〇・四メートルを計る。また、北側で確認された溝の長さは九メートル、幅〇・五メートル、南側では長さ三〇メートル、幅〇・五メートル、深さ〇・四メートルである。
 この溝の内側掘り込み部上面には、二・五~三・五メートル間隔でピットが検出された。このピット列は柵列状遺構の存在をうかがわせる。更に、この溝状遺構の北部には長さ一・二メートルにわたって溝が中断する部分があり、柵列状遺構と連続した門状遺構の存在が考えられている。この溝状遺構は六世紀後半から七世紀前半の遺構と考えられる。

第36図 呰見遺跡6号掘立柱建物跡実測図