居屋敷遺跡は、祓川中流域右岸の丘陵突端部に位置する。行政地区では、町の東北端部大字徳永地区に属し、西は祓川を境に田中、北・東は行橋市、南は呰見に接する農業地域である。地区内は県道節丸・新田原停車場線が南北に貫通している。また、徳永集落北端に五社神社、西部に成就山浄土宗果願寺がある。この果願寺は椎田道路路線内にまともにはいったため、新たに徳永地区内に移転している。
国道一〇号バイパス建設に伴う事前の試掘調査では、祓川の河岸段丘に沿って多くの遺跡が発見され、発掘調査が実施された。行橋市の辻垣地区では、辻垣長通・畠田・ヲサマル遺跡などで弥生終末から古墳時代初頭にかけての生活遺構が、この徳永地区では、鋤先・川の上遺跡などで弥生時代集落が知見され、古式古墳、後期古墳や横穴墓の群集が目を引いている。また、最古級の初期須恵器を焼いた窯がこの居屋敷遺跡の中から検出されたことも注目された。
当遺跡の所在地は福岡県京都郡豊津町大字徳永字居屋敷で、字鋤先の鋤先遺跡と一体となるものである。