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調査の契機と遺跡の概要

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居屋敷遺跡が立地する地域は、祓川の河岸丘陵上にある。国道一〇号椎田道路の路線用地の買収が終了し、路線杭が打たれたことを受けて、遺跡の有無についての試掘調査を実施した。その結果、その法面で横穴墓群、丘陵上部の平坦面で弥生時代などの遺構と須恵器の窯跡が検出された。このことを受けて本格的な発掘調査となった。試掘前の現況は、法面に雑木が茂っていた。また、太平洋戦争当時の防空壕が掘られて、横穴墓群の中で防空壕として利用されたものもあったと旧地権者も記憶されておられた。
 発掘調査は昭和六十三年度事業として建設省九州地方建設局の委託を受けて、福岡県教育庁指導第二部文化課が実施することとなり、昭和六十四年一月六日から平成元年四月十二日までの三か月の間を充てた。発掘調査の結果、段丘上で縄文時代と思われる落とし穴状土壙二基、弥生時代の貯蔵穴三基・同土壙墓一六基・同甕棺墓三基、近世期の基壇状遺構一基、時期不明の溝状遺構・不整形土坑各一基が、法面では古墳時代の横穴墓一五基・同須恵器窯跡一基、近代の防空壕四基など稠密(ちゅうみつ)な文化財が確認された。一口で言えば、弥生時代の墓地群と古墳時代の横穴墓群、そして須恵器の窯跡からなる遺跡である。第37図が遺構全景写真である。

第37図 居屋敷遺跡全景(福岡県教育委員会提供)