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遺構の詳細

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各遺構についての概要は第6表に示しているので、ここでは法面の中段に位置する11号横穴墓、12号横穴墓、13号横穴墓と初期須恵器を焼いた窯跡について詳細を述べたい。
 居屋敷11号横穴墓(第38図)は、当該遺跡の横穴墓群の中では法面の中段にある。当横穴墓の主軸はN-46°-Wで、西に開口する。全長四メートルで、その内訳は玄室一・六五メートル、羨道一メートル、墓道一・三五メートルである。一墓道一横穴墓の形態をとっている。
 出土遺物は、玄室のみで、須恵器四点・土師器二点・人骨二体・耳環四点・刀子一本が検出されている。
 玄室(第38図)の平面形は方形(二〇〇×一八〇センチメートル)を呈し、壁に沿って排水用の周溝をめぐらしている。天井高は床の敷石から九〇センチメートルを計測する。玄室の縦断面はドーム形で左右にU字形の浅い溝を作っている。敷石をはずして地山面を見ると、凹凸で排水に適している。埋葬者は並列するように頭を南位方向に位置して、その周辺部に刀子や耳環などが出土している。人骨の残りはよくない。ただし成人骨である。須恵器・土師器などは周辺の壁の近くに残っていた。右袖は正確に掘削されて造られているが、左袖はゆるやかに造営されている。

第38図 居屋敷11号横穴墓実測図

 羨道部の閉塞石は下から積み上げて、最上段部では中央部から斜めに入れている。羨道部の幅は八五センチメートルである。墓道は羨道と同じ幅で、見かけの立柱は造られていない。羨道部の左側壁に密着したように耳環が一点検出されている。埋葬者のものがとれたものである。
 出土遺物から、当該横穴墓の年代は七世紀の半ばごろで、須恵器の編年ではⅣb期を充てたい。
 居屋敷12号横穴墓(第39図)は、11号横穴墓の三メートル南で、13号横穴墓の三メートル北に位置する。中段の真ん中である。主軸はN-53°-Wで、西に開口する。全長五・二五メートルを計り、その内訳は玄室二・二〇メートル、羨道〇・九メートル、墓道が二・一五メートルで、一墓道一横穴墓の形態をなす。
 出土遺物は、玄室から、この横穴墓群の中で、最多の副葬品を持っていた。これは埋葬者が四体も入っていたためであった。人骨四体分は、残りが非常に悪くて、頭頂骨・大腿骨・歯冠などの一部が残っていた。
 遺体は奥から並列に並べられた。第39図のように、耳環四点・直刀二本・小刀一本・須恵器一点・鉄鏃六点・金銅製鈴八点・勾玉二点・管玉一点・ガラス玉二三四点が検出された。特に副葬品の中では、金銅製の鈴が興味を引くものである。このほかには、墓道から、鉄鏃と須恵器の大甕の破片が浮いた状態で覆土中より出土している。
 玄室(第39図)の平面形は方形(二二〇×二二〇センチメートル)を呈し、若干奥壁が四〇センチメートルほど短い。遺物の集中はほぼ三か所に分かれている。左袖には小刀・鈴・勾玉含む玉類が、奥壁に沿って頭頂骨や歯を含め、玉とがかたまっている。玄室中央部に耳環などを中心にグルーピンクできる。中心部南壁面には直刀二本・鉄鏃五本・須恵器(脚付壺)一点(第40図)、この直刀の北側に頭頂骨がひっくりかえっていた。

第39図 居屋敷12号横穴墓実測図


第40図 居屋敷12号横穴墓玄室出土遺物実測図

 周壁に沿って、排水用の周溝をめぐらせて、羨道部に至っている。天井高は敷石面から九〇センチメートルを計測する。玄室の縦断面はドーム形で左右にU字形の浅い溝を作っている。敷石をはずして地山面を見ると凹凸が多く、排水に適している。左右の袖を掘削されて、ほぼ対称に造営されている。
 羨道部は、一段下がり、框石に至っている。框石は羨道いっぱいの大きめの河原石を使用し左側のすき間に小さな河原石を立ててふさいでいる。墓道と羨道は同じ幅で、見かけの立柱の飾りはない。
 遺物の中で鈴について説明を付加したい。
 鈴(第41図)①は全体図と断面図を示したもので、銅地金箔張りで、中に鉄玉が入っている。紐付け部は鋲留タタキ込みである。作りは型抜きで、精細なもので、円座は④のような半径一・八センチメートル円形の銅板に金箔張りであるが、その部分は欠失している。重量は二一・五グラムを計測する。鈴本体の長軸は三・八センチメートル、短軸は三・八センチメートルで、紐付け部〇・七センチメートル、本当に大振りの鈴で、金箔で円座についての当初の様子が目に浮かぶ。
 ②は大きさも①に同じで、紐付け部の位置が相異なるが、鋲留のタタキが違う。重量一六・三グラムである。銅地金箔張り。円座は欠失している。
 ③は大きさもほぼ同じで、円座の一部が残っている。鉄玉が鈴の中に入っている。銅地金張りで紐付け部は鋲留である。
 ④は円座も紐付け部も完全に残り、鈴本体は同形・同一寸法で、重量三三・九グラムである。銅地金張りで紐付け部は鋲留である。鈴本体の重量は、三四グラム前後であることがこれによって理解できる。
 ⑤は円座の部分も一部残っており、鈴本体は同じ形で、寸法も同様である。重量は一七・五グラムを測る。銅地金張りである。欠損部分あり。
 ⑥は鈴本体が同形で寸法も同じである。重量は二二・九グラムを計る。銅地金張りである。欠損部分あり。
 ⑦は一部に円座が残っており、鈴本体は同形で寸法も同様である。重量は一三・四グラムで、銅地金張りで、欠損部分あり。
 ⑧は、鈴本体が割れている。二個の鉄芯が中に入っている。紐付け部が鋲留であることが理解できたものである。重量は一一・七グラムで、鉄芯が入ると三グラム増える。
 検出された鈴は、第39図のように一か所に固まっていた。これだけの鈴が一つの横穴墓から検出されたのは、非常に珍しい。

第41図 居屋敷12号横穴墓玄室出土遺物(鈴)実測図

 出土遺物から、12号横穴墓の年代は、七世紀前半ごろに位置付けたい。
 居屋敷13号横穴墓(第42図)は、12号横穴墓の三メートル南にあって、中段の端となり、その南はテラス状の台地となって、五~九号横穴墓の墓道域となっている。主軸はN-85°-Wで、西に開口する。
 当横穴墓は玄室+羨道+墓道からなり、全長六・二〇メートルを計る。玄室は左右袖で二〇センチメートル前後の出入りがある。中間をとって一・八〇メートル、羨道が〇・九メートル、墓道は二・五〇メートルである。墓道には供献土器が墓道底から浮いた状態で出土している。玄室からは直刀・鉄鏃・土玉などが検出され、須恵器などの土器類は出土していない。一墓道一横穴墓の形態である。
 玄室(第42図)の平面形は方形を呈し、左右袖は一直線にそろっていない。中央部で幅が一・八五メートル、長さ一・八〇メートルである。左袖が奥壁から一・九〇メートルで、右袖が奥壁から一・七〇メートルを計る。壁の周囲に排水溝がめぐる。出土遺物は、奥壁の周溝中から直刀一点・鉄鏃四点・鉄輪一点が出土しており、人骨の足付近から刀子一点とガラス玉が頸の位置付近に散らばっていた。人骨は辛うじて残ってはいたが、保存状態が悪いので、性別は不詳である。羨門部の框は五石をもって間げきに小石を詰めている。天井高は敷石床面から〇・七〇メートルを計る。断面はドーム形をなし、左右に排水溝を設けている。前庭部が広く、奥壁は二〇メートルほど短い。
 羨道部は左右の長さが相異なる。左袖が一〇〇センチメートル・右袖一一〇センチメートルである。墓道には左側に二〇センチメートル前後の張り出しを設け、右側に羨道下場と一致している。上面は見かけの張り出し部を設け、斜めの立柱と見え、左側は立派な立柱と正面から見える。羨道幅は六〇センチメートル前後である。
 閉塞石は、ぎっちりと河原石を入れている。下に人頭大の河原石を五~六段組み、その間げきに手ごろな河原石を入れて閉塞している。
 墓道から出土した遺物は、須恵器の提瓶・〓・杯などであった。これらの遺物は墓道底より若干浮いた状態で出土している。須恵器の編年型式ではⅣa期のものである。
 玄室などの出土遺物から、七世紀前半ごろに該当するもので、13号横穴墓の時期としたい。

第42図 居屋敷13号横穴墓実測図

 居屋敷横穴墓群の埋葬時期は七世紀初頭から七世紀半ごろまでの五〇~六〇年前後で、約二世代~三世代というところである。第6表の概要のとおりである。
第6表 居屋敷横穴墓一覧表
玄室法量センチ横穴〓主軸閉塞石出土遺物須恵器時期
たて×よこ(最短)平面形有無墓道玄室編年
0号横穴墓
1号横穴墓   墓道のみ須恵器片
2号横穴墓 }調査で不明
3号横穴墓   須恵器(〓2点)Ⅳa7世紀前半
4-1号横穴墓150×220N-65°-W須恵器(甕・杯・高杯・坩・平瓶・長頭壺)Ⅲb~Ⅳa7世紀初頭
巾着形
4-2号横穴墓200×230N-59°-W須恵器・土師器耳環2・直刀1・刀子・鉄鏃・須恵器6Ⅳa7世紀前半
羽子板状
5号横穴墓220×220N-90°-W弥生土器5・火舎・小皿・須恵器60・石鏃鉄鏃・馬具・耳環・土玉・刀子・ガラス玉Ⅳa7世紀前半
方形
6号横穴墓210×215N-95°-W須恵器17・鉄鏃1須恵器3・ガラス小玉・耳環2・鉄鏃1Ⅳa7世紀前半
方形
7号横穴墓150×120N-75°-W灯明皿・勾玉・管玉・ガラス玉・耳環Ⅳb7世紀半
巾着形
8号横穴墓175×150N-79°-W須恵器18・鉄鏃管玉3・ガラス小玉2Ⅳa7世紀前半
巾着形
9号横穴墓230×210N-41°-W須恵器5玉(勾玉・管玉・ガラス小玉・土玉)・須恵器1Ⅳa7世紀前半
不整方形
10号横穴墓破壊N-115°-W
不整楕円形
11号横穴墓200×180N-46°-W耳環1人骨2・耳環4・刀子1・須恵器4・土師器2Ⅳb7世紀半
方形
12号横穴墓220×220N-53°-W鉄鏃・須恵器片人骨4・直刀2・鉄鏃・鈴8・耳環4・須恵器・玉類Ⅳa7世紀前半
方形
13号横穴墓185×180N-85°-W須恵器26・土師器2・石庖丁1人骨1・直刀1・鉄鏃4・刀子1・ガラス玉・鉄輪1Ⅳa7世紀前半
方形
S-1号横穴墓170×170N-45°-W人骨17世紀半?
不整方形
S-2号横穴墓160×100N-63°-W須恵器(甕・高台付杯)Ⅳb7世紀半
巾着形
S-3号横穴墓直径230N-64°-W耳環1・刀子2・須恵器(蓋付直口壺・提瓶)Ⅳb7世紀半
巾着形
S-4号横穴墓395×365N-78°-W須恵器(提瓶)Ⅳb7世紀半
方形