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前期の集落

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古墳時代初期の集落は、弥生時代後期後半の集落から継続して営まれているものが多い。下稗田遺跡では弥生時代後期中ごろから古墳時代前期初頭の集落が、標高三〇メートル前後の丘陵部に営まれており、住居跡七七軒が調査されている。このうち、弥生時代後期最終末から古墳時代初頭に属する住居跡は四軒ほど確認されている。苅田町葛川遺跡や行橋市矢留遺跡などでもほぼ同時期の集落が調査されているが、集落の立地環境や住居の規模・構造は類似している。これに対して、苅田町木ノ坪遺跡の集落の場合、沖積平野奥の周囲の水田面とはほとんど標高差がない微高地縁辺部に立地する点が異なっている。この種の集落は築城町十双遺跡でも三軒が確認されている。
 この時期の集落に共通する特徴は、弥生時代後期から連続して営まれ、古墳時代前期中葉には消滅していることである。住居の構造は、平面形がやや長方形で、規模は一辺が四~六メートル前後である。主柱穴は四本または六本で、中央部に炉跡、壁際にベッド状遺構、一辺の壁際中央部に貯蔵用の穴を持つ。
 前期後半の竪穴住居跡や集落の調査例はごく少ないが、豊前市上大西遺跡では前期の竪穴住居跡二軒が調査されている。SB004は三・五×三・四メートルのほぼ正方形の平面形をなし、主柱穴は二本で、床面の円形土壙から出土した土師器の甕は、前期でもやや新しい傾向を示す。また、行橋市内屋敷遺跡B地区1号住居跡は四・六八×三・〇四メートルの長方形の平面形をなし、前期後半から中期前半の高坏を出土している。