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中期の集落

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前期後半から続く集落の衰退傾向は、中期後半でも同様の状況にある。犀川町タカデ遺跡は五世紀前半から七世紀前半までの長期間にわたる集落で、竪穴住居跡が三六軒検出されている。このうち、31号住居跡は当集落で最も古く、床面が五×四・一メートルのやや長方形をなし、中央部に炉跡、短辺の壁際にベッド状遺構、長辺の一方には土壙を設けている。下稗田遺跡でも五世紀前半から七世紀中ごろの集落から竪穴住居跡九八軒が調査されている。このうち、古・Ⅰ・93号住居跡は五世紀前半に属し、既に屋内にカマドを持っている。これは竪穴住居跡の屋内カマドとしては当地域で最古の例である。
 五世紀後半代では、タカデ遺跡で三軒、下稗田遺跡で六軒の竪穴住居跡が確認されており、しだいに集落としての体裁が整いつつある。住居跡の構造は、床面の平面形がほぼ正方形で、主柱穴もほぼ正方形に四本配置されている。依然としてベッド状遺構を設けるものや屋内土墳を持つものがみられ、屋内カマドはまだ少ない。床面の規模は一辺が四~六メートル前後のものが多く、七メートルを超える特に大型のものはみられない。