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後期の集落

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六世紀に入ると生産力の拡大と新しい農地の開発につれて、集落は数・規模の両面で加速度的に膨張する。下稗田遺跡では、前半代の住居跡が一〇軒確認されている。また、この時期に新しく誕生した集落には行橋市渡築紫遺跡、築城町安武・深田遺跡(第52図)などがある。安武・深田遺跡では、調査された六六軒のうち九軒の住居跡が前半代に属する。この時期の竪穴住居跡は、ベッド状遺構を持つものはほとんどなく、屋内土壙も非常に少ない。カマドは半数以上の住居跡で検出される。

第52図 築城町安武・深田遺跡古墳時代遺構分布図

 後半代では集落の増加は、まさに爆発的になる。苅田町谷遺跡・行橋市内屋敷遺跡・豊津町源左エ門屋敷遺跡・築城町安武土井の内遺跡・豊前市荒堀中ノ原遺跡などはこの時期から新たに集落が営まれている。これらの集落は、全体的に数軒程度の小規模であることが特徴となっている。これに対して、下稗田遺跡では二〇軒以上、安武・深田遺跡でも二〇軒弱程度で集落が構成されていた。このような状況は、地域の核となる大規模集落と、新しい農地の開発を目指した前進地的な小規模集落とが併存する状況を示している。また、集落内の施設では、この時期に方二間の総柱または方一間の掘立柱建物が増加する。これらの多くは高床倉庫と考えられ、家父長層の富の蓄積を裏付ける施設である。