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〔古墳の出現〕

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 北部九州は倭国内でも中国や朝鮮半島に地理的に最も近く、弥生時代以来新しい技術・文化の受容に際して窓口となってきた。また、大小の河川の沖積作用によって各地に平野が形成され、稲作を中心として農業生産力も高く、弥生時代後期には「クニ」と呼ばれる各平野程度の広がりを持つ地域単位で有力な首長層が成長していた。この状況は古墳時代に入っても受け継がれ、各平野を代表する首長層は前方後円墳などの古墳を築造している。ここでは、豊国・筑紫国などの地方を中心に、古墳時代を概観する。