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前期の集落と居館

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前期の集落のほぼ全ぼうに近いものが調査された例に、田川郡赤村合田遺跡がある。この遺跡からは竪穴住居跡一五軒と倉庫二棟が発見されている。竪穴住居跡は一辺が六メートル以上のやや大型のものが半数近くを占め、最大では床面積が五〇平方メートルを超える。倉庫は方二間の中央に束柱を持つ弥生時代にはない新式の形態で、面積も二四~二九平方メートルと広い。遺物でも二軒の住居から鉄鏃が出土し、畿内系・山陰系・瀬戸内系などの外来系の土器が数多くみられ、全体としては「優勢な家族の住居にかかる集落」と考えられている。
 一方、このような竪穴住居跡からなる一般集落とは別に、地域の支配者である豪族の居館も発見されている。大分県日田市小迫辻原(おざこつじばる)遺跡は日田盆地北部の台地に所在し、弥生時代終末から古墳時代初頭の環濠集落が三か所台地の西部に形成されている。豪族の居館はこの台地の中央部から東部にかけて三基が確認されている(第55図)。時期は環濠集落とほぼ並行する古墳時代初頭で、三基ともほぼ正方形の溝によって囲まれている。規模は、1号居館が約四八メートル、2号居館が約三九メートル、3号居館が約二〇メートルである。このうち2号居館は濠が幅三メートル前後で、北辺の一部に出入り口が設けられている。環濠の内側に小溝が一条方形にめぐり、更にその内部には倉庫と考えられる三×二間の総柱建物が南北に二棟並んで建てられていた。

第55図 日田市小迫辻原遺跡(日田市教育委員会提供)