神籠石は、山頂を取り囲むようにして山腹にめぐらされた石列で、その内側は神聖な霊域とされたことにその名の由来がある。しかし、一九六〇年代以降、前原市雷山(らいざん)・山門郡瀬高町女山(ぞやま)・朝倉郡杷木町杷木・佐賀市帯隈山(おぶくまやま)・佐賀県武雄市おつぼ山・山口県大和町石城山(いしきさん)などの神籠石が発掘調査され、遺跡の性格が山城であることが判明してきた。つまり、平野や河谷に面した眺望のよい山頂を内部に持ち、山腹の石塁上には版築の土塁を築き、谷筋に城門と水門を設けるなど、神籠石はその立地や構造の面で、大野城に代表される朝鮮式山城との類似性が高い遺跡であることが実証されるようになった。