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豊前地方の仏教

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七世紀後半になって、豊前国にも堂塔を備えた寺院の建立が始まる。それは天武・持統朝における国家の基本概念として仏教を取り入れるという政策と密接に関係するとともに、仏教の持つ現世安穏、後生善処の考え方が有力豪族に受け入れられたことにより、初期の寺院が造営され始める。
 この地方の仏教の伝来は朝鮮半島に近いという地理的条件から仏教の公伝前に渡来人たちが仏教を持ち込んでいたという考えもある。正倉院に保管されている大宝二年(七〇二)の豊前国戸籍の断簡には多くの渡来系氏族の名がみられることからすれば、考えられることである。また、渡来系氏族の名に秦氏の名が多いことは留意すべきことである。秦氏はいち早く仏教取り入れ振興に力を注いだ蘇我氏と深い関係にあった渡来氏族である。このようにしてみてくると、六世紀後半から七世紀前半に京都郡、仲津郡に所在する豊国の大首長墓に大型方墳が採用されていることも蘇我氏との関係において見逃すことができない。
 更に仏教が宇佐八幡宮において、中央大和政権より先に仏教のもつ国家概念を取り入れた神仏混交が行われたことも見逃すことはできない。
 これは、道鏡事件における中臣習宜阿曾麻呂(すげのあそまろ)に告げられた仏教が国家の基本であるとする託宣と、和気清麻呂(わけのきよまろ)に告げられた日本古来の神祇が国家の基本であるとした託宣の相異なる託宣が宇佐八幡宮から発せられることに表れている。と同時に仏教勢力が最も強かったと思われる豊前国で、神祇が国家の基本であり、仏教はその国家観を補うものとして位置付けられたことがその後の日本史に大きく影響した(第5図、第1表参照)。

第5図 豊前国の古代寺院分布図

1天台廃寺跡田川市鎮西町(旧田川郡)
2椿市廃寺行橋市福丸(旧京都郡)
3菩提廃寺京都郡勝山町菩提(旧京都郡)
4木山廃寺京都郡犀川町木山(旧仲津郡)
5豊前国分寺跡京都郡豊津町国分(旧仲津郡)
6上坂廃寺京都郡豊津町上坂(旧仲津郡)
7垂水廃寺築上郡新吉富村垂水(旧上毛郡)
8相原廃寺中津市相原(旧下毛郡)
9小倉池廃寺宇佐市上元重(旧宇佐郡)
10虚空蔵寺跡宇佐市駅川町山本(旧宇佐郡)
11法鏡寺跡宇佐市法鏡寺(旧宇佐郡)
12弥勒寺跡宇佐市宇佐町(旧宇佐郡)
13塔の熊廃寺下毛郡三光村(旧下毛郡)

第1表 豊前地方の古代寺院
寺院名所在地旧郡出土瓦その他の瓦および伴出遺物時代供給瓦窯跡伽藍配置
軒丸瓦軒平瓦
朝鮮系畿内系大宰府系朝鮮系畿内系大宰府系
高句麗式新羅式百済式法隆寺式鴻臚館式老司式新羅式百済式法隆寺式老司式鴻臚館式
弥勒寺跡宇佐市宇佐神宮境内宇佐扁行唐草文平瓦奈良尻掛瓦窯薬師寺式
法鏡寺跡宇佐市法鏡寺宇佐複弁七葉(珠文)丸瓦、鬼瓦、丸瓦白鳳野森瓦窯法隆寺式
虚空蔵寺跡宇佐市駅川町山本宇佐複弁八葉(珠文)丸瓦、単弁十六葉丸瓦、塼仏、鬼瓦(大宰府系)白鳳不明法隆寺式
小倉池廃寺宇佐市上元重宇佐複弁七葉丸瓦白鳳不明不明
塔ノ熊廃寺下毛郡三光村下毛鬼瓦、瓦塔片、須恵器、土師器奈良不明不明
相原廃寺中津市相原下毛重弧文平瓦白鳳伊藤田ホヤ池瓦窯法隆寺式
垂水廃寺築上郡新吉富村垂水上毛塑像片、文字瓦、重弧文平瓦白鳳友枝・山田・桑野原瓦窯法隆寺式
天台廃寺跡田川市鎮西町伊田田河重弧文平瓦白鳳天台寺瓦窯法起寺式
菩提廃寺京都郡勝山町菩提京都単弁十三葉丸瓦、十六葉丸瓦、鬼瓦片(大宰府系)平安不明不明
豊前国分尼寺跡京都郡豊津町徳政仲津須恵器、土師器片奈良不明不明
豊前国分寺跡京都郡豊津町国分仲津単弁十九葉丸瓦、鬼瓦片(大宰府系)、重弧文平瓦奈良船迫堂帰り瓦窯・徳政瓦窯国分寺式
椿市廃寺行橋市福丸京都平城宮跡出土同范丸瓦、鴟尾片重弧文平瓦白鳳不明四天王寺式
木山廃寺京都郡犀川町木山京都単弁十九葉丸瓦、土師器、須恵器、硯、重弧文平瓦白鳳福六瓦窯不明
上坂廃寺京都郡豊津町上坂仲津単弁十九葉丸瓦、重弧文平瓦、鴟尾、緑釉陶器、土師器碗白鳳不明不明