豊津町でも上坂に白鳳時代の寺院跡があり、上坂廃寺と呼ばれている。祓川(はらいがわ)の左岸で、川と上坂の集落との間に広がる水田下に廃寺は埋没している。水田面に散乱する瓦片から寺院跡の存在が早くから推測され、寺院の性格についての推論も行われてきたが、古い役場の調査では国分寺の伝経堂としている。またここが国分尼寺跡と考える研究者もいた。しかし、出土瓦(百済系)からはこの廃寺の創建が国分寺の建立よりも約半世紀さかのぼることを示しており、国分尼寺が別の位置に確認されるようになった現在では、なぜこの地にこの寺院が建立されるようになったかを含めて、この寺院の性格については今後の研究に待つところが多い。