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圃場整備と上坂廃寺

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上坂廃寺が、豊前地方の初期寺院の中で重要な位置を占めることは、広く認められているところであるが、前出の圃場整備事業に際しては調査体制も組織されないまま、簡単な試掘溝を入れた調査が行われただけであった。この調査は寺域に東西南北に入れた三本の試掘溝を中心に行われたが、工事中の現場は目を覆うものがあった。露出した心礎上を重機が走り、瓦片は地上や排土上に散乱し、幾つかの礎石は掘り返されるといった状況であったし、多くの瓦類が蒐集家に持ち去られるままにまかされていた。
 このような状況から見て、推定ではあるが寺域推定地の約三分の二は消滅してしまったと思われる。金堂跡・講堂跡や全体の伽藍(がらん)配置についても正確には把握されていない。廃寺は謎に包まれたままほぼ消滅しているが、将来心礎部分を含めて残存していると思われる北辺一帯の調査があるとすれば、より周到な計画の下に行われることが望まれる(第10図参照)。

第10図 上坂廃寺跡の圃場整備