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大宰府と管内諸国とのかかわり

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大宰府は九国三島を総管する役割を持つので、次のように管内の諸国とは深いかかわりを持っていた。
(1) 西海道各国の行・財政の監査(勘会)について
 西海道各国の行政・財政上の報告書(正税帳・調帳・朝集帳・大帳―これらを四度の公文という)は、他の国々と違って直接に中央の役所(省や寮)の監査を受けずにまず大宰府で監査を受けたあと府の解(げ)(上申書)を添えて府の役人が中央で監査を受けた。
(2) 人事に関して
 ・管下の国司の掾以下と郡司に対して詮擬権(仮の任命権)が認められた(大宝二年(七〇二)三月)。
 ・府の書生は管内各国の郡司級の子弟から任用された。
 ・大隅・薩摩・多〓・壱岐・対馬の国司・島司が欠員した場合には大宰府官人の中から権補する制が設けられた。(養老六年(七二二)四月)
(3) 租税に関して
 ・租は管内各国の正倉に蓄えられたが、府はこれを監検した。府官人の「公廨稲」と「雑用料稲」は筑前・筑後・豊前・豊後・肥前・肥後の六国の正税から府に送らせた。三国二島(日向・大隅・薩摩・壱岐・対馬)のそれは府を介して六国から送らせるのが原則であったが、防人粮(さきもりりょう)も同じであった。
 ・管下の九国二島(はじめは三島)の調・庸・贄・雑物は府に送られて、府官人の給与、内外の使節の接待費、旅費、貿易代金などに充てられ、残り一定量を都へ送った(京進)。
(4) 神事に関して
 主神は九州管内の神事を総管した。(神護景雲三年(七六九)に宇佐八幡神託を奏上したのは大宰主神である)
(5) 医療に関して
 管下の病人の医療を大宰府医師が担当
 (承和二年(八四五)に大宰府は筑前・筑後・肥前・豊前・豊後の五か国に医師各一人を置くことを請うなど)
(6) 民政に関して
 管下で起こった災害の際の免租・救恤の申請や口分田の班給。
(7) 軍制に関して
 九州では大宰府に軍団兵士(一万七一〇〇人)の動員権があった。また、管下の諸国から武具の材料を大宰府に貢納させて大宰府で作成した。
(8) その他
 大宰府は筑前国の国衙機能も兼ねていることもあった(職員令)。