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国府の設置

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大化二年、改新の詔に始まる中央集権国家が形成されるなかで、地方政治については国・郡(評)・里という行政組織が作られ、全国六六国二島それぞれに国の行政官庁として設置されていったのが国府である。改新の詔にもあるように畿内では七世紀後半代に国府の整備が進められたものと推測されるが、それ以外の諸国でも八世紀前半代に設置されていったと考えられる。ただし、発掘調査によって国府の官衙的な建物が確認されているもののなかで、出雲や筑後では七世紀末にさかのぼるが、下野・伯耆・周防・肥前などの大部分の国々では八世紀前半代からであり、八世紀後半にくだる国もある。これは律令の様式に基づく国府の建設が国府の設置より遅れたことを意味している。
 国府の設置された場所については定形はないとされるが、浅香幸雄氏によれば、山城国以外の国々では畿内に近くその国内で偏った位置にあるもの四二国(約六四パーセント)、ほぼその国の中央にあるもの一九国(約二七パーセント、畿内に遠い位置にあるもの六国(約九パーセント)となっており、大半がその国の中で比較的畿内に近い偏った場所に位置していることになる。また木下良氏は、その国の交通の拠点を占める位置、戦略的要地、農業生産の中心地(広範な水田の分布地)を立地条件にあげている(第1図参照)。

第1図 西海道国府の分布