ビューア該当ページ

府域とその構造

398 ~ 400 / 1391ページ
国府の府域については、一般的には大国では方八町(一町は一〇九メートル)、それ以外の上・中・下国では六町以下とされる。藤岡謙二郎氏は「今日までのところ大国以外は六町域をとるものが多いと考えられる。一辺が偶数だけでなく奇数もあり、それぞれの地形に応じて規模に多少の変化が存したのではないかと考えられる」と述べている(『国府』藤岡謙二郎著、昭和四十九年)。
 国府の構造については外周に土塁がめぐらされ、四方には門が設けられるが、その内部には中央部か南半かまたは北半に築地塀(ついじべい)(土塁)または板塀に囲まれた方二町ほどの国庁(政庁)が置かれた。国庁の内部には南面して正殿、その背後には後殿、前面には東西脇殿、場合によっては正殿の前に前殿が配置され、南辺の中央部には正門が設けられた。このように主要建物をコの字形に配置する構造は平城京から大宰府・国府、さらに郡衙にまで共通する古代の官衙的建物の配置形式である。そして国庁前面の中央道路を基準にして一町ごとの碁盤目状道路によって府域内が区画され、その内外には国司の館や倉庫・工房・市場・国学・祠社(総社・印鑰社(いんにゃくしゃ)・国府八幡(こうはちまん)など)・民家などの存在が想定され、発掘調査によっても確かめられつつある。さらに国府に近接して官道も通り、物資の集散や盛んな人々の往来など、国府はまたその地方の中心都市でもあった(第2・3図、第2表参照)。

第2図 伯耆国府政庁復元図


第3図 下野国府政庁


第2表 国衙遺跡の存続期間