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文献にみる豊前国府

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豊前国府が豊前国内のどこにあるのかについて、文献上では次のようにみえている。
   ・『和名類聚抄』(略して和名抄)五、国郡…豊前国、国府在京都郡
   ・『色葉字類抄』………府京都
   ・『伊呂波字類抄』……府京都
   ・『拾芥抄』……………「国府在京都郡」
   ・『豊前志』……………「草場村に在庁屋敷と称する処あり、是国府の蹟なるべし…」
   ・『太宰管内志』………「按ずるに、国府・国分寺同処にある例なれば、後世に、郡堺かはりて、今仲津郡の内とならむか国分寺も今は仲津郡内にあり…」
   ・『古事類苑』…………地部三十一豊前国…「…此国は古へ国府を京都に置く…」
   ・『豊前遠鏡』…………「国作に御所と称する地あり、是れ国造を住せし地なりといひ、或は国司の住せし地なりといふ…」
   ・『豊前新大鏡』………「豊前国、国府所在地、京都郡祓郷村草場…」
   ・『大日本地誌提要』…「古へ国府を仲津に置、今草場村に在庁屋敷あり蓋し其遺址なり」
   ・『大日本地名辞典』…「国府は初より仲津郡に置れるものにして倭名抄の京都郡に作れるは誤なるべし」
   ・『日本国郡沿革考』三、西海道…「…京都六十三村、古国府…」
   ・『京都郡誌』…「草場の人について聞くに上屋敷と称する地はあれど在庁屋敷と称する地無し」
           「国作に御所と称する地あり。…国司の住せし地なりといふ」