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ゴミ焼却場候補地と発掘調査

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昭和五十一年(一九七六)になって、国作幸木(こうのぎ・さやぎ)地区が広域圏ゴミ焼却場候補地になり、二月から事前の発掘調査が行われた。幸木地区は豊前国府推定地の一つである推定国府域の北辺にあたるが、その調査の結果は『幸木遺跡―唐・五代陶磁器出土発掘調査報告―』としてまとめられている。調査は現場に六本の試掘溝を入れて行われたが、特に第三・四の試掘溝にかかった大溝からは九世紀後半から十世紀後葉にわたる遺物が出土している。その内容は越州窯系青磁、白磁などの中国から輸入された磁器類のほか、緑釉(りょくゆう)陶器・土師器・黒色土器・瓦器(がき)・円面硯(えんめんけん)・瓦・鏃・碁石などである(第4図参照)。また、溝の西側の試掘溝からは掘立柱跡が出土しているが、これらの遺物や建物跡から調査者は「豊前国衙に勤務した在庁官人の屋形跡と考えられ、この屋形が営まれたのは九世紀から十世紀にかけてのことである」と述べている。更に「幸木遺跡の性格から考えて、豊前国衙が仲津郡に置かれたこと、しかし具体的な位置については不明である。…在庁官人屋敷は国衙の近くに位置したであろう。これらのことと地勢とを考えれば、背後に惣社の丘陵が屛風(びょうぶ)のごとく、さらにその後に八景山を控え、南に国分寺丘陵、北東に草場神社、大山の独立丘陵、東南側に帯状に祓川を周らした平地、大字国作字御所の今はない小丘陵の東南側の背山臨水の好地に国衙の位置を求べきであろう。」と述べ、国作御所の南東一帯を国府跡と推定した。

第4図 幸木遺跡出土品