前出の発掘調査現場の南に隣接して、当時椎田・勝山バイパス線の道路工事の一部が始められていたが、その現場からも遺物が採集されている。白磁・緑釉陶器・須恵器・土師器・黒色土器などであるが、時代的には幸木遺跡出土のものと同時期が考えられている。
その後、椎田・勝山線バイパス工事の本格化に伴い、昭和五十三年(一九七八)一月から二月にかけてその道路が国府の推定地を通過する部分の調査が行われた。遺跡は水田下約九〇センチメートルから出土し、調査区域全面にわたり小ピットが検出され、ほかに井戸跡と考えられる径〇・八メートル、深さ一メートルの大ピットが五つと数条の南北方向に延びる溝が検出された。出土遺物には糸切り底の土師器碗(わん)・甕(かめ)、須恵器坏(つき)、黒色土器碗、白磁、緑釉陶器片、瓦などがある。
この発掘調査の結果、調査者は「遺物の年代はほぼ十世紀から十一世紀前後のころのものと思われる。また白磁は中国からの輸入品であるが、当遺跡では白磁のみの出土であり、青磁を含まないことは注目されるところである。瓦は平瓦がほとんどで、いずれも小片で磨滅しているが、瓦の出土は当遺跡付近に瓦を葺いた建物の存在が予想される。…この地における歴史が平安時代に遡ることが確認された。」と述べている。