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豊前国府国作説の浮上と問題点

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以上のような二度にわたる豊前国府推定地の一部の発掘調査は、これまで地名や文献で推定されてきた幾つかの国作説を出土遺物の面から補強し、国作の地(豊津町)に豊前国府の所在したことを濃厚にした。逆にまたこれまで豊前国府跡としてあげられてきた旧京都郡・仲津郡の他の推定地(須磨園・津熊・草場)からは現在に至るまで国府の所在を思わす遺物は何も発見されてなく、国府を推定する根拠は乏しくなった。
 このように国作国府説が浮上したが、その一方では幸木地区を中心にその一帯に広域圏ゴミ焼却場(近隣一市三町)の建設計画が進行していて、計画どおりに事業が進めば国府推定地の主要部分は破壊されることが確実であった。