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国府を守る大きな輪

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豊前国府の有力な推定地であった国作地区の前出のような調査で、国府所在地にふさわしい遺物が出土する一方、そのころここに公共施設(ゴミ焼却場)の建設計画が進行し、研究者・歴史研究団体や地元住民の中から国府推定地を守ろうとする動きが起こってきた。その動きはもっと郷土の歴史を広く学習して理解を深め、その中で郷土の歴史的遺産について考えていこうということに発展して、「豊前国府・国分寺調査研究会」を結成する運びになった。そのため昭和五十一年四月から設立準備会が作られ、規約・趣意書を作成して七月から会員の募集を始めた。全国の国府跡の多くが市街地化して十分な調査ができないという状況もあって、豊前国府をめぐる動きは地元マスコミにも取り上げられて反響を呼び、地元を中心に県内各地から約二四〇人の会員の応募があり、豊前国府を守ろうとする輪は大きな広がりをみせた。