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政庁地区の調査

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大字国作字御所・宮ノ下地区一帯は、第五次から第九次の調査で豊前国府の政庁が確認されたため、ここでは便宜的に「政庁地区」と呼ぶ(第11図)。ここでは豊前国府第Ⅰ期から第Ⅴ期の時期ごとにその変遷をみることにする。第Ⅰ期に属する遺物は整地層・包含層などから出土しており、惣社地区と同様の集落が広がっていたことも想定されるが、政庁建設の際に破壊されたと考えられる。
 第Ⅱ期の遺構は、基本的に当地区の西部に広く分布する暗褐色整地層の下から検出される遺構である。全体としてこの時期の遺構は少なく、南西部で検出された逆L字形に曲がる溝(SD5012)と二棟の掘立柱建物跡(SB5012・SB7003)のほか、南東部の数条の南北溝と不整形土壙が確認されるにとどまる。SD5012は二段掘りで直角に近く屈折するが、その方向性からみて政庁を直接区画する溝とは考えにくい。SB5012は柱穴が一辺八〇~一〇〇センチメートルの方形をなす、官衙的な色彩の強い東西棟の建物である。規模は桁行が五間(一〇・五メートル)、梁間が三間(四・五メートル)で、床面積は約四七平方メートルである。この時期の遺物としては鴻臚館(こうろかん)系や老司(ろうじ)系の軒瓦があり、一部は瓦葺(ぶ)き建物であったと考えられる。
 Ⅲ期の遺構は、全体として政庁の構造を最も明りょうに復元することができる。この時期の施設は暗褐色土の整地を行ったのち建設している。この時期の基準となる遺構は政庁東辺を区画する二条の南北溝で、築地塀の両側の雨落ち溝である(第12図)。政庁地区南東部でこの溝から西方に屈折する一条と、南西部で平行して外側を走るもう一条の溝があり、この両方の溝の間に南辺の築地塀が想定できる。また、北辺でも同一の方位をとる大溝が確認されている。政庁内部の建物では東辺築地塀の中央付近に隣接して、南北に長大な同じ構造の掘立柱建物が二棟連続して配置されている(SB5009・SB6020)。SB5009(第13図)は北側の建物で西面に廂を持つ南北棟の建物で、桁行八間(一七・四メートル)・梁間三間(四・九〇メートル)で、床面積は約八五平方メートルである。SB6020も同様の建物であるが、桁行が一八・四メートルとやや長く、床面積は約九〇平方メートルである。これらの建物は政庁の東脇殿であるが、政庁南部の中央付近で中門の可能性がある総柱状の掘立柱建物跡(SB6018、第14図)が検出された。この建物は東西棟で、桁行三間(六・八メートル)・梁間二間(三・四メートル)で、八脚門の形態をなす。以上の遺構はⅢ期のなかでも前半代に属するものであるが、これとは別にやや新しい十世紀後半の遺構もある。それはⅢ期政庁の南西部の築地塀外側で、南北に平行して走る二条の溝(SD9005・SD9006)である。二つの溝の間隔は芯々で約四・二メートルを計り、Ⅲ期前半代の東辺の築地塀に比べ幅の広い築地塀が南北に通っていたと考えられる。


第11図 政庁地区遺構配置図


第12図 政庁東辺築地塀雨落ち溝(SD6012・6013)


第13図 政庁Ⅲ期東脇殿実測図(SB5009ほか)

 Ⅳ期以降になると、政庁地区には多数の掘立柱建物が建築される。調査区北東部で検出された大形の掘立柱建物群(SB5001・SB5002・SB5003)と柱穴列(SA5001・SA5002・SA5005)は、この時期に属する可能性がある(第15図)。これらの遺構群はほぼ同じ方位(N-17°±1°-W)をとり、柱穴から瓦器片が出土している。SB5001は南北棟の建物で、桁行一四間(三〇・二メートル)、梁間三間(六・〇メートル)を計る長大な建物である。床面積も一八一平方メートルに達する。柱穴は一辺が九〇センチメートル前後の方形で、深いものでも四〇センチメートル程度、浅いものでは五センチメートル足らずしか残存していなかった。この建物は一回以上の建て替えが行われている。SB5003は時期的にSB5001に先行する建物で、桁行三間(九・〇メートル)・梁間二間(六・〇メートル)の南北棟の総柱建物である。東西面に出入り口を持つ八脚門の可能性もある。またこの建物中軸線から連続して南方へ延びるSA5005は、SB5003と同じ柱間をなし、板塀状の施設であったと考えられる。

第14図 政庁地区中門付近実測図(SB6018ほか)


第15図 政庁地区第Ⅳ期東脇殿付近実測図
(SB5001ほか)

 Ⅴ期の遺構では、方形にめぐる大形の溝がある。この溝は政庁地区北西部(SD5022)と中央部(SD5030)との二か所にあり、SD5030は第二次の御所地区トレンチでも続きが確認されている。この溝は幅二~三・五メートルで、断面が逆台形をなし、溝で囲まれた範囲は南北約八八メートルである。
 次に、政庁地区の調査について問題点も含めて簡単にまとめる。
①国府政庁の規模と方位
 政庁はⅢ期のものが最もよく分かっており(第16図)、その規模は南北の長さ(南辺築地塀の芯から北辺大溝の掘り込み内側上場まで)一〇五メートルで、幅(東辺築地塀を中門で折り返した場合の芯々で)七九・二メートルである。また南北の中軸線はN-約4°-Wの方位をとる。

第16図 政庁第Ⅲ期遺構配置図

②政庁の構造と特徴
 (四) 九州の官衙とその現状の項に述べる。
③出土遺物について
 官衙的な要素を持つ遺物としては施釉陶器・磁器・墨書土器・木簡(もっかん)・硯・瓦類・その他がある。第19図7は緑釉陶器の皿で、8は灰釉陶器の杯である。11は越州(えっしゅう)窯系青磁碗、12は龍泉(りゅうせん)窯系青磁碗、13は同安(どうあん)窯系青磁碗で、14は白磁碗である。墨書土器(第18図)のうち1は土師器碗の外底面に「三良丸」、2は同じく「伊加梨」の文字を記している。第17図の木簡は唯一の記年銘資料で三行のうち二行目の頭に「大伴信依」の人名と、三行目に「保安(ほあん)元年(一一二〇)十一月廿一日」の年月日が読み取れる。第19図19は円面硯、15は風字硯(ふうじすずり)である。第19図20は石帯(せきたい)の巡方(じゅんぽう)で、黒い色の頁岩製である。

第17図 豊前国府出土木簡


第18図 豊前国府出土墨書土器
(1、三良丸 2、伊加梨)


第19図 豊前国府出土遺物実測図