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西海道の国府

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西海道の国府のうち、発掘調査によって中心施設の政庁や関連遺構が確認されているのは筑後・肥前・豊前の三つの国府にとどまる。
 筑後国府は御井(みい)郡内にあり、久留米市合川町周辺の枝光台地を中心として、昭和四十七年(一九七二)以降現在まで発掘調査が行われている。筑後国府の特徴は、東西幅約一・五キロメートルの枝光台地上を築地塀や大溝で区画された官衙ブロックが三回にわたって移動していることである(第22図)。七世紀末から八世紀前半の成立期の国府と考えられる古宮(ふるごう)国府は台地西端に位置する。築地塀と大溝で囲まれた区画と平行して、北辺に三×八間の東西棟掘立柱建物跡、東辺に三×六間の掘立柱建物跡二棟が並ぶ。また、南方には正倉の可能性がある三×四間の総柱建物跡二棟が検出されている(第23図)。その後八世紀中ごろから十世紀前半では、南東約二〇〇メートルの阿弥陀(あみだ)地区に枝光(えだみつ)国府が営まれる。ここでは八世紀末から九世紀前半の四面廂建物二棟や、九世紀前半から十世紀前半の東西方向の築地塀と南北に長大な掘立柱建物跡などが確認されている。続く十世紀中ごろから十一世紀後半では、更に東方約七〇〇メートルで朝妻(あさづま)国府が造営される。遺構は東西約一三〇メートル、南北一三〇~一四〇メートルの大溝で区画された内側から三間(六・八メートル)×四間(一三・七メートル)以上の南北棟建物が検出されている。最後の横道国府は朝妻国府の南東約四〇〇メートルに位置し、十一世紀前半代から十三世紀代の遺構があり、四面廂の掘立柱建物跡や東西・南北方向の溝が発見されている。また、枝光国府の南東約一五〇メートルの風祭(かざまつり)地区では、九世紀後半代の国司館と推定される区画(築地塀または土塁)と、内部から二×六間以上の脇殿状建物が検出されている。これら以外にも、この一帯で官道や御井駅・御井郡衙跡などが確認されている。

第22図 筑後国府の変遷


第23図 筑後国府古宮地区全体図

 肥前国府は佐嘉(さが)郡にあり、発掘調査は一九七四年から八四年まで継続して実施され、その後も九州横断自動車道の建設の際関連遺跡が事前調査された。国府の所在地は現在の佐賀市北部の佐賀郡大和町で、脊振山地南麓の標高一五メートル前後の低い台地にあり、肥前路の官道に南面する。関連遺跡は政庁を中心に、北北西約二〇〇メートルの惣座(そうざ)遺跡、北北東約二〇〇メートルの久池井B遺跡などがある。当国府は西海道で唯一政庁の全容が判明しており、その形態は大宰府政庁の縮小版ということができる(第24図)。政庁全体の規模は、南北一〇四・五メートル、東西七七・二メートルで周囲は築地塀によって囲まれている。内部の主要建物は一、二回の建て替えがみられるが、ほぼ同一の構造・規模を保っている。南門は南面築地のやや内側にあり、八脚門(六・九×四・五メートル)である。脇殿は東西ともに二×七間の掘立柱建物跡二棟からなり、規模は北側の脇殿は五・三×一七・五メートル、南側は古い時期の建物が五・〇×二〇・八メートル、新しい建物が五・三×一九・二メートルである。正殿は四×七間(一〇・八×二五・〇メートル)の四面廂の掘立柱建物跡である。後殿は二×七間で、桁行は正殿の身舎部と同じ二〇・八六メートルであるが、梁間は古い建物が五・一メートル、新しい建物が五・四メートルである。正殿から東西両方向に回廊が延びることも大宰府政庁に類似している。ただし、当国府では二×七間(五・四×二〇・八六メートル)の前殿が建てられている。政庁が造営された時期は八世紀前半代までさかのぼり、九世紀後半には南門が礎石建物になり、政庁全体では十世紀前半までの遺物が出土している。惣座遺跡は八世紀後半から九世紀の国府の正倉と考えられる遺跡である。久池井B遺跡では廂を持つ建物や倉庫が確認されている。肥前国府周辺のその他の施設としては、国司が管理していた国印や正倉の鍵(かぎ)を祭ったとされる印鑰(いんにゃく)神社が政庁の南東約〇・八キロメートルにあり、西南西一・〇キロメートルに肥前国分寺尼寺、一・三キロメートルに同僧寺が位置する。

第24図 肥前国府政庁全体図

 西海道の官衙のうち、大宰府や肥前国府・豊前国府の政庁には幾つかの共通点がみられる(第5表)。まず、門は大宰府政庁の中門・肥前国府政庁の南門・豊前国府政庁の中門がいずれも八脚門の形態をとることである。次に、脇殿は三者とも南北二棟に分かれている。更に、肥前と豊前の場合、政庁全体の規模も類似している。これらの共通点は肥前国府と豊前国府の政庁が大宰府をモデルとし、なんらかの規制を受けて建設されたことを物語るのではないだろうか。
 なお、肥後では八世紀後半から九世紀前半の託麻(たくま)郡内の国府政庁が調査され、正殿と東西脇殿と推定される建物が部分的に確認されている。また、薩摩国府では国府内の一種の曹司の存在を示す「国厨」の墨書土器が出土している。しかし、ともにその全容解明には至っていない。
 
第5表 大宰府・肥前国府・豊前国府政庁規模比較表
(単位:メートル)
遺跡名政庁南門中門脇殿正殿前殿後殿備考
長さ長さ長さ長さ長さ長さ長さ
大宰府間数5232747473中門:八脚門
26.911.7脇殿:南北二棟、両面廂
211.0110.725.013.213.57.02.813.0正殿:四面廂
肥前国府間数3272947272南門:八脚門
17.55.3脇殿:南北二棟
104.577.26.94.520.85.025.010.820.85.420.85.4正殿:四面廂
豊前国府
Ⅲ期
間数3282中門:八脚門
17.44.9脇殿:南北二棟、片面廂
105.079.26.83.418.44.9