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大宰府―豊前国府道

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先述の二つの官道のうち、前者は大宰府から豊前国府までを田河道、豊前国府から宇佐八幡宮の間は勅使街道とも呼ぶことがあるが、ここでは便宜的に大宰府―豊前国府道と呼ぶことにする。大宰府―豊前国府道は、田河駅から現在の香春付近までそのルートが判明しており、香春からは仲哀峠を越える。解明されている官道の西端は勝山町上野集落で、ここから新町南部・西谷北部の間は里界線上を通る。西谷集落北部から天生田の間は標高三〇メートル前後の三つの丘陵を横切るが、一部で幅一〇メートル程度の切り通しが確認されている。天生田を過ぎ今川を渡ると仲津郡に入り、道はやや東南東方向に曲がりながら八景山南部の標高四〇メートルの峠にさしかかる。この峠の頂上付近にある甲塚方墳の南裾部では切り通しの道路が残るが、その東方では長養池の湖底に沈む。更に惣社地区の丘陵部を下ると豊前国府南西部に入る。国府と国分寺を結ぶ南北道路との交差点は現在伽藍橋と呼ばれている。国府を出ると道は祓川中流左岸に広がる条里の里界線上を進む。祓川を渡って右岸段丘上の呰見薬師堂の南を通り、航空自衛隊の送信所北側では丘陵を切り通して延びている。その先は築城郡に入り、築城町の双子池北東部、城井川を越えて椎田町越路西部・豊前市中村北部付近まで直線道路である。豊前松江付近でいったん南方に屈曲したのち、上毛郡内では南東に進路をとり、田淵南部・高田北部の間は条里の里界線上を通る。佐井川を渡ると、すぐ南側に上毛郡の郡衙と推定される大ノ瀬下大坪遺跡が隣接し、更に約一・五キロメートル進むと垂水廃寺の伽藍の北東部をかすめる。その先官道は山国川を渡ると下毛郡に入り、東南東方向にやや向きを変えて平野部では直進し、駅館川右岸の段丘で東方に進むが、再び東南東方向に進んで宇佐駅に至る。
 この官道は甲塚方墳南裾部でトレンチ調査されたほか、国道一〇号のバイパス工事で発掘調査されているが、甲塚方墳南裾部では丘陵を切り通す道路面の一部を検出したにとどまり、側溝は存在しなかった。ただし、新吉富村池ノ口遺跡では幅六メートルの硬化面を持つ官道跡が長さ約六〇メートルにわたって検出されている。