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正倉院に残る豊前国戸籍

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古代の戸籍で現存するものは極めて少ないが、幸いにも九州では豊前・豊後・筑前各国の郡・里の戸籍の一部(残簡(ざんかん))が残っている(第8表)。
第8表 九州の戸籍残簡

大宝2年(702)筑前国嶋郡川辺里
大宝2年(702)豊前国上三毛郡塔里
  同豊前国上三毛郡加目久也里
  同豊前国仲津郡丁里
大宝2年(702)豊後国(海部郡)

豊前国の里のそれぞれの位置については、仲津郡丁里(ちょうり)は現在の京都郡の一部に、上三毛郡加目久也里(かめくやり)は現在の豊前市の大村・八屋付近に、上三毛郡塔里(とうり)は築上郡大平村唐原(とうばる)付近に比定されているが、いずれも山国川の左岸から行橋・京都郡の間に位置した村落である。そこで豊前国の戸籍をみるとまず一戸の人数が多いことに気づく(前出の戸主丁勝馬手の戸参照)。最小の人数の一一人から最大人数の八七人までがみられるが、河野房男氏は「北九州においては一戸平均人数は二十三人から二十六人であったとみてよかろう」と述べている(第9表参照)。
第9表 仲津郡丁里、上毛郡塔里・加目久也里戸籍

豊前国上三毛郡塔里戸籍(大宝2年)
1戸人数受田額
 町 反 歩
14  1 ・ 9 ・ 17
27  3 ・ 7 ・357
14  2 ・ 0 ・135
22 ・不明・
51・〃・
25・〃・
計6戸-153人1人受田平均
1反147歩
1戸平均25.5人基準に対する受田の割合
92.2パーセント

 
同国同郡加目久也里戸籍(大宝2年)
1戸人数受田額
 町 反 歩
87  9 ・ 4 ・ 46
16  2 ・ 0 ・ 330
27不明
計3戸-130人1人受田平均
1反42歩
1戸平均43人基準に対する受田の割合
91.8パーセント

 
豊前国仲津郡丁里戸籍(大宝2年)
1戸人数受田額
 町 反 歩
25  3 ・ 3 ・ 209
15  2 ・ 1 ・ 171
30  3 ・ 7 ・ 24
17  2 ・ 4 ・ 281
15  2 ・ 1 ・ 171
30  4 ・ 1 ・ 40
30  4 ・ 0 ・ 17
11  1 ・ 6 ・ 188
18  2 ・ 5 ・ 118
30
16  2 ・ 3 ・ 46
12
31  4 ・ 0 ・ 65
22
14  1 ・ 8 ・ 59
63
15  2 ・ 1 ・ 171
28  3 ・ 5 ・ 279
13  1 ・ 7 ・ 222
22
計20戸-457人1人受田平均486歩
(1反126歩)
1戸平均22.9人基準に対する受田の割合 
98.8パーセント

備考
1.受田平均額-欠・不明の分は除く。
2.基準額トハ男6歳以上1人2反、女ハソノ2/3ニヨル計算。
3.大宝2年豊前国ノ受田ハ年令ニ無関係デ男子ハ1反235歩(595歩)、女子ハホボ男子ノ2/3即チ1反36歩(396歩)ヲ基準ニ授田シタトイフ(虎尾俊哉史学雑誌第63編の10号(昭28.10)一班田収授法の研究)。
           (宇佐市史より)
 こうした戸は郷戸(ごうこ)と呼ばれていて、大化二年(六四六)の詔で五〇戸を里とすると定めたのはこの郷戸を指している。河野氏の推算した一戸の平均人数を参考にすれば一里の人数は一一五〇~一三〇〇人ぐらいになる。この郷戸はまた幾つかの消費生活の単位である小家族が集まったものであり、その小家族を房戸(ぼうこ)と呼んでいる。小家族(一軒)の人数は発掘された奈良時代の竪穴(たてあな)住居跡からみてもせいぜい五、六人程度と考えられ、これが実際の生活単位であったろうと思われる。
 これらの戸籍には秦部(はたべ)という氏を持つ者のほかに勝という姓を持つ人名が多く、このことが特徴的である(第10表参照)。秦部は朝廷で伴造(とものみやつこ)として奉仕していた渡来系氏族秦氏の部民(べのたみ)として組織された集団で、力役と貢納によって奉仕する地方農民であった。豊前国で秦氏の部民が組織された時期については幾つかの意見があるが、『日本書紀』雄略(ゆうりゃく)紀の秦酒公(はだのさけのきみ)が秦の民を賜り、百八十種勝(ももあまりやそのすぐり)を率いて庸・調の絹を献上する記事、『姓氏録』の泰氏が「秦民九十二部、一万八千百七十人」を率いて伴造になった記事などから五世紀後半が考えられたり、また大和政権がいちおう関西以西の各地に支配権を樹立した六世紀前半代が考えられたりしている。
第10表 豊前国戸籍(大宝2年)

秦部勝姓その他の姓総人数
仲津郡
丁里
217丁勝狭度勝川辺勝某勝27404
51433132
160
上三毛郡
塔里
63塔勝某勝4131
559
64
加目久也里26河辺勝上尾勝1266
1513
28
某里1010
累計31625243611

 この表は、昭和33・34両年度におこなわれた正倉院戸籍原本調査をもとに、再整理したものである。
 秦部+勝姓の総人数に対する比率は、
 丁里94%、塔里96%、加目久也里82%、某里100%で、
平均93%にのぼる。(『福岡県の歴史』平野邦雄・飯田久雄著 山川出版より)