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乱の終結と乱後の処理

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その後広嗣は海外への逃亡を企てて、肥前国松浦郡知駕島(ちかのしま)(値賀島)から船出するが、耽羅(たむら)島(済州島)付近から西風に押し返されて、十月二十三日に値嘉島長野村で官軍兵士阿部黒麻呂に捕らえられ、十一月一日弟の綱手とともに斬首(ざんしゅ)されて、挙兵からほぼ二か月でこの反乱は失敗のうちに終わった。
 事件の処理は天平十三年(七四一)正月二十二日に行われ、広嗣を支えた者や、差し当たり捕らえられた者の中から死罪二六人、没官五人、流罪四七人、徒罪三二人、杖罪一七七人を出した。