国分寺建立の詔の中に「……必(かなら)ず好(よ)き処(ところ)を択(えら)ひて実(まこと)に久(ひさ)しく、長(なが)かるべし。人に近くは薫臭(くんしゅう)の及ぶ所を欲(ほり)せず。人に遠くは衆(もろもろ)を労(わづら)はして帰集(くゐしゅう)することを欲(ねが)はず」とあり、選地は慎重に行われたと思われる。一般的には南斜面の丘陵先端部の好処で、国府にも近く、僧・尼寺も二~五町と割に近いところに位置している。
寺域については、僧寺は二町四方、尼寺は一町四方が原則と考えられているが、例外もみられる。そしてそれぞれの寺域の周囲には濠か土塁をめぐらすことが多いとされる。
次に伽藍配置では、僧寺では南から北に向かって南門・中門・金堂・講堂が寺域の中軸線上に並び、七重塔が金堂の斜め前方の左右どちらかに配置され、金堂から延びた回廊が中門にとりつく形が普通とされている。尼寺は塔が省略された形とされ、規格性が高いと考えられている。