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A区の調査

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A区は、三重塔解体修理工事に伴う進入路部分に調査区が設定された。この地区は指定地の東辺の一角にあたるため、寺域の東部を区画する築地塀や溝などの施設が確認される可能性があった。
 当調査区では中央部から南東部にかけて厚さ一〇センチメートル以下の整地層が分布していたが、検出された遺構の大部分はこの整地層上面から掘り込まれたものであった。A区で検出された主な遺構は、掘立柱建物跡四棟・柱穴列三条・溝七条などである(第37図参照)。

第37図 豊前国分僧寺跡A区全体図(1/300)

 SB2001は、調査区西半に位置する南北棟の掘立柱建物跡である。梁間五・九メートルを隔てて調査区外に延びる二条の柱穴列からなる。両柱穴列とも六間分を確認したが、その桁行の長さは一三・三メートルである。柱穴は平面形が円形ないし隅丸方形をなし、径六〇センチメートル前後で、柱抜き跡は径二五センチメートル前後である。遺構の時期は、中世の十四・十五世紀ごろと考えられる。
 溝については調査区の東部で、南北方向に走る三条の大形溝が注目される。SD2001は、幅二・三~二・六メートルで、南側は道路によって削平されているが、北側は指定地内に更に延びている。溝底から染付が出土しており、江戸時代の遺構と考えられる。SD2004は、SD2001の西側にあり、SD2001に一部削平されながら平行して南北両方向の調査区外まで延びる溝である。幅一・一~二・〇メートルで、調査範囲内で長さ一一・五メートル分を確認した。中央よりやや南部の溝内には建物の礎石が一基転落しており、時期は十五世紀ごろと考えられる。
 A区で検出された遺構は、大部分が中世から江戸時代のもので、創建時の奈良時代の明確な遺構は検出されなかった。ただし、整地層中からは、八、九世紀の須恵器や、創建時に近い時期の鬼瓦(第38図)や鴻臚館系複弁七弁軒丸瓦・法隆寺系均等唐草文軒平瓦などが出土している。

第38図 豊前国分僧寺A区出土鬼瓦