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調査経過と遺跡の概要

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大字国分字北原一帯は、近年まで畑地に利用されていたが、昭和五十年代前半以降、北側の字城塚にB&G豊津海洋センターが建設され、駐車場・ゲートボール場などが設置された。この前後から字北原の南部は廃棄物の捨て場となり、雑木が繁茂する原野になっていた。豊津町は昭和六十二年に、この北原西側の谷部に四〇〇メートルトラックを有する運動公園の建設を開始し、字北原南部がスタンド部分にあたり一部削平されることとなった。このため、埋蔵文化財の試掘調査を実施したところ、溝状の遺構やピットが検出され、須恵器・土師器とともに龍泉窯系青磁碗が出土した。
 本調査区はこの一帯の丘陵上の平坦面に設定され、二二八〇平方メートルの面積を対象とした。
 遺跡は全体的に削平が著しく、遺構は調査区北東部に集中していた。検出した主な遺構は掘立柱建物跡一棟・方形溝状遺構一基・溝二条・土壙一基などであるが、時期的には弥生時代から近世までの長期間にわたるものであった(第51図参照)。

第51図 北原遺跡全体図