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遺跡の詳細

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検出した各種遺構のうち、掘立柱建物跡(第52図・第53図参照)は調査区北東部に位置し、方形溝状遺構および溝一によって一部切られている。建物の平面形態は方二間で、規模は東西幅四・一六メートル、南北長四・二九メートルである。柱掘方はすべて径四〇センチメートル前後のほぼ円形をなし、柱抜き跡は径二〇センチメートル前後である。方位は約二度ほど西に振っている。この建物の時期は、出土した須恵器の蓋の形式からみて八世紀後半代と考えられる。
 方形溝状遺構(第52図・第53図参照)は掘立柱建物跡を切り、溝一に切られている。溝は東西約一〇・五メートル、南北約一一・〇メートルの規模で、ほぼ正方形にめぐらされている。溝で囲まれた内面は、東西約六・五メートル、南北約七・六メートルの広さを持ち、東辺中央部には幅約一・〇メートルの陸橋状の平坦面があり、西辺中央部には幅約一・六メートル、長さ約一・八メートル、深さ〇・四五メートルの方形ピットを有する。溝の幅は約一・九~二・四メートル、深さは北辺部で一部浅くなっているが、全体としては〇・五~〇・七メートルである。遺物(第54図)は、須恵器片(4)・土師器片(2・3)・瓦質土器の擂鉢(1)のほかに龍泉窯系の青磁碗Ⅰ-2(横田賢次郎・森田勉「大宰府出土の輸入中国陶磁器について」九州歴史資料館研究論集4、一九七八)に属するものが二点(5・6)出土している。遺構の時期は十三世紀後半から十四世紀前半の鎌倉時代後半期であろう。

第52図 掘立柱建物跡・方形溝状遺構実測図


第53図 掘立柱建物跡・方形溝状遺構検出状況


第54図 北原遺跡方形溝状遺構出土遺物実測図

 溝一は調査区北部を東西に走り、調査区東端部で北方へ屈曲する。検出した総延長は約五七メートルに達し、幅は約〇・七~一・五メートル、深さは最も深い部分で〇・五七メートルである。溝内埋土からは須恵器片や土師器の杯・皿、瓦器碗、施釉陶器片、龍泉窯系・同安窯系の青磁碗、白磁の皿・合子などが出土している。遺構の時期は、十四世紀後半ないし十五世紀の室町時代前半期に属すると考えられる。