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武士の発展

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このような武士たちがその実力を発揮したのは十世紀前半代東西で同時に起きた平将門の乱(九三九―四〇)・藤原純友の乱(九三九―四一)などの鎮圧の際であり、その存在と実力を広く国内に示すことになった(資料1参照)。そのような出来事の中で中小の武士団を広範にまとめてその棟梁となったのが清和源氏(せいわげんじ)と桓武平氏(かんむへいし)であり、その後「都の武者」の家柄を作り上げていく。このころにはまた中央でも衛府が無力化していたので、朝廷や貴族も彼らを「侍」として奉仕させて宮中の警備や貴族の身辺、市中の警護にあたらせたり、一方では地方の武士を盗賊や反乱者を追捕する追捕使(ついぶし)や内乱などの際に兵士を統率する押領使(おうりょうし)に任命して治安を分担させることが多くなった。
 源氏と平氏の発展については、源氏は前九年の役(一〇五一―六二)・後三年の役(一〇八三―八七)の両役を通して関東武士とのつながりを深めたが、十世紀以降は摂関家の警護にもあたっていた。平正盛や忠盛は、院(白河・鳥羽・後白河上皇)に接近し、院の近臣として西国の諸国の受領(ずりょう)(国司)を歴任して各地の武士と主従関係を結んだり、また日宋貿易に関与するなどして西国に軍事的・経済的な基盤を形成していった。更に十一世紀後半には北面の武士として僧兵の強訴(ごうそ)などの横暴を押さえた(資料1参照)。そして古代末期におきた保元の乱(ほうげんのらん)(保元元年=一一五六)や平治の乱(へいじのらん)(平治元年=一一五九)においては、院・天皇・貴族の政治上の対立や矛盾は武士の力に頼ることなしにはその解決も生命の安全も保証されないところまできてしまったことを露呈した(資料2参照)。
資料1 武士の発展
承平(じょうへい)・天慶(てんぎょう)の乱
(中央政府の無力と武士の実力確認)
平将門の乱
935(承平5)~940(天慶3)
[関東](下総)
第1段階(935~938)一族の内紛、将門 伯父国香を殺す
第2段階(939~940)国衙襲撃新皇と称し公然と朝廷に反抗
鎮定者 平貞盛(国香の子)と下野押領使藤原秀郷(北家の末流、子孫は奥州藤原氏として繁栄)
藤原純友の乱
939(天慶2)~941(天慶4)
[四国・九州]
前伊予掾、瀬戸内海の海賊を率い山陽、南海を荒らし大宰府に侵入
鎮定者 追捕使の小野好古と源経基
平忠常の乱
1028(長元1)~1031(長元4)
[関東](上総)
上総介高望の曽孫、勢に任せ朝廷を軽んじ反乱
鎮定者 追捕使源頼信、頼義父子
奥羽の反乱
(源氏の勢力東国に扶植)
前九年の役
1051(永承6)~1062(康平5)
[奥羽](陸奥)
豪族安倍頼時、貞任父子の反乱
鎮定者 源頼義、義家父子、出羽の清原氏と討伐
後三年の役
1083(永保3)~1087(寛治1)
[奥羽](出羽)
前九年の役後、陸奥・出羽に勢力を振るった清原氏の内紛(藤原清衡と清原家衡)
鎮定者 源義家、清衡を助けて鎮定
『資料日本史』東京法令出版株式会社 島田善造ほか 昭51・1・10から

 

資料2 源氏・平氏の台頭と盛衰