ビューア該当ページ

元の襲来

601 ~ 601 / 1391ページ
高麗の三別抄という軍隊の反乱を鎮めたフビライは日本出兵の準備にとりかかった。一二七四年(文永十一年)正月から、高麗に命じて軍船九〇〇隻(せき)を役夫三万五〇〇人を動員して建造させ、元軍二万五〇〇〇・高麗軍八〇〇〇、水手七〇〇〇の混成軍四万余を編成して、忻都(きんと)・洪茶丘(こうさきゅう)・劉復亨(りゅうふくこう)らを指揮官として、十月三日、合浦(ごうほ)(馬山)を出航、五日には対馬を襲って、少弐氏の守護代宗資国(そうすけくに)以下八〇余騎を全滅させ、十四日には壱岐に到着し、少弐氏の守護代平景隆ら一〇〇余騎を全滅させた。
 十九日、博多湾に姿を現し、二十日早朝から今津を手始めに、百道原(ももちはら)・博多・箱崎などに上陸を開始した。


第2図 元寇侵入路と異国警固担当地