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弘安の徳政と泰盛

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また、安達泰盛は、鎌倉から博多に明石民部大夫行宗・長田左衛門尉教経・兵庫助三郎政行の三人を派遣し、大友兵庫頭頼泰・安達越前守盛宗・大宰少弐経資を合奉行とした(「特殊合議制訴訟機関」といわれる)。
 鎮西の宗たる神領を回復させるべく、神領で売却または入質した土地を調査して、神社へ返還させ、社殿を修復し、神事を再興し、また名主職を安堵して御家人を創出し、地頭職闕所地を調査して、蒙古合戦恩賞の地の捻出(ねんしゅつ)に当たらせた。
 この合奉行の特徴は、左のように意図的に守護国を避けて管轄国の組み合わせを作り、政務の公平を期していることである。
  大友頼泰 明石行宗   肥前・筑前・薩摩
  安達盛宗 長田教経   豊後・豊前・日向
  少弐経資 兵庫政行   肥後・筑後・大隅
 ここにも、北条泰時や時頼の政治を再現しようとする安達泰盛の政治姿勢をうかがうことができる。