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鎮西談議所の権限

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幕府は異国警固を最重要事と考えて、九州の訴訟は博多で裁判することにした。従来訴訟の裁決権は源頼朝が保持していたが、執権北条氏の手に移り、鎌倉と京都六波羅でのみ取り扱ったのであるが、異国襲来という非常時に際して、北条一門でない四奉行に裁許権を移譲したのである。これは重大な政策の変更であった。平頼綱の失政の一つであるという批判が北条一門から起こったに違いない。この特殊裁判機関を鎮西談議所と呼ぶようになった。