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肥後守護代から筑後国守護へ

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鎮西四奉行人のうち、大友兵庫入道頼泰と少弐経資は豊後と筑前の守護であり、宇都宮薩摩入道通房と渋谷権守重郷(さと)とは肥後・日向の守護北条氏の代官であった。すなわち、守護クラスの御家人二人と北条一門の被官(御内人(みうちびと))二人という構成であり、宇都宮通房は御家人ではあるが、北条得宗家の「御内人」化していることが分かる。
 御内人の統率者(内管領(うちかんれい))平頼綱が御内人を起用したと考えることができる。
 宇都宮通房は北条一門の信頼が厚かったようで、永仁三年(一二九五)六月には、筑後国守護であることが『宇佐宮益永文書』で知りうる。また通房の子頼房も数年間、筑後国守護を務めた。