ビューア該当ページ

鎮西引付衆宇都宮頼房

614 ~ 614 / 1391ページ
永仁七年(一二九九)の鎮西評定衆、鎮西引付衆の中に、宇都宮通房の名が見えない。このころには死去していたと思われる。もっとも、二番引付衆のなかに、薩摩六郎左衛門尉がいる。これが宇都宮頼房ではないかと思われる。頼房は通房の六番目の子息で、紀井宇都宮氏惣領になったのではなかろうか。『紀井宇都宮系図』には、太郎盛房、三郎経房、八郎道氏、九郎実景の名が知られるが四郎から七郎までが不明である。