神領興行のことは、安達泰盛の時代から何度も触れ出されたが、実行に移された様子はない。永仁六年(一二九八)には、朝廷から綸旨(りんじ)をもって神領興行がなされることになったが、やはり、これを実行する力がなく、正和元年(一三一二)十月ごろ、鎌倉から明石盛行・斎藤重行・安富長嗣の三人を奉行として派遣し、強力に執行に当たった。
年・月・日 | 武士名 | 対象地との関係 | 出典 | ||
正安 | 1(1299) | ・8・12 | 大和太郎左衛門入道観仏・山田太郎右衛門入道道円 | 下毛郡柑子木田畠苅田狼藉につき使節 庄入道善阿の相親上津野弥三郎康清 | 到津文書 |
1 | ・8・12 | 薩摩次郎左衛門尉経房 | 下毛郡野仲郷全得・世永両名を濫妨するも、敬神のため宇佐宮に返還す | 〃 | |
2(1300) | ・3・13 | 別府太郎入道・陶山三郎 | (上毛郡カ)守久・武安名を宇佐宮へ打渡す | 永弘文書 | |
正和 | 1(1312) | ・3・13 | 高並小次郎入道妙願 | 下毛郡野仲郷千萬名四反を宇佐宮へ返付させらる | 薬丸文書 |
1 | ・12・27 | 前大和守頼房 | 〃 木原村稲重名三町余を宇佐宮へ返付させらる 展転知行の地 | 到津文書 | |
2(1313) | ・2・20 | 山田中内左衛門尉政盛 | 上毛郡黒土庄田地三反を宇佐宮に返付させらる | 宮成文書 | |
2 | ・3・12 | 山田彦三郎政康 | 下毛郡四郎丸名田地一町二反宇佐宮へ返付させらる | 益永文書 | |
2 | ・5・1 | 名田七郎入道 | 上毛郡多布郷慶丸名畠地、上津多布村古動名畠地等につき、参決せらる | 薬丸文書 | |
2 | ・6・2 | 深見右近五郎広政 | 宇佐郡向野郷田四反につき、使節 | 北文書 | |
2 | ・6・12 | 野仲次郎太郎道雄・妙法寺弥三郎入道円証 | 下毛郡麻生郷藍原屋敷二所を押領す | 永弘文書 | |
2 | ・6・16 | 深水武藤三郎能氏 | 下毛郡野仲郷弁分三町二反 | 稲用文書 | |
2 | ・6・22 | 野仲道性房円空 | 〃 〃 全得、世永両名を濫妨す 阿波四郎入道素仏使節 | 永弘文書 | |
2 | ・6・22 | 宇都宮頼房下人又三郎・九郎三郎男 | 上毛郡是吉名内田一反三〇代、屋敷二所宇佐宮に返付させらる | 奥文書 | |
2 | ・6・□ | 大和八郎信茂 | 〃 三毛門大路田六反宇佐宮に返付させらる | 宮成文書 | |
2 | ・8・12 | 山田八郎範房子息千世房丸 | 下毛郡久松名を宇佐宮へ返付させらる | 小山田文書 | |
2 | ・8・16 | 高並常陸房行願 | 豊前国橋本村につき、壱岐四郎太郎入道明覚 使節をつとむ | 〃 | |
2 | ・8・22 | 八□孫三郎入道円智 | (下毛郡)延入村原畠につき、久保六郎種栄、使節をつとむ | 時枝文書 | |
2 | ・8・27 | 野仲原次郎道典 | 宇佐郡高家郷大根河免田七反三〇代を宇佐宮に返付せしむ | 屋形米二郎文書 | |
2 | ・9・6 | 久保六郎種栄 | 下毛郡野仲郷得光名内五反につき、使節をつとむ | 小山田文書 | |
2 | ・9・6 | 市尾平内兵衛尉光直曽孫光俊 | 〃 〃 実得・時元・快日三ケ名半分田畠屋敷を押領 | 野仲文書 | |
2 | ・10・2 | 小田原大蔵左衛門入道崇忍 | 宇佐郡封戸郷蛤原田地二反三〇代を宇佐宮へ返付させる | 北文書 | |
文保 | 1(1317) | ・2・14 | 山田中内左衛門尉 | 下毛郡野仲郷内五反につき、使節 | 小山田文書 |
1 | ・8・25 | 久保三郎種家→六郎種俊→六郎種栄 | 〃 穴石郷黒水・吉武両名の返付を訴えられるも、これを棄却せしむ | 黒水文書 | |
元応 | 1(1319) | ・8・19 | 野仲次郎太郎 | 〃 大家・野仲両郷内自見名并今永田地を宇佐宮へ返付せしむ、深見弥次郎・津布佐弥五郎 使節 | 北文書 |
前ページの表は、豊前国に関係した興行史料である。
これらの法令は、富裕な御家人や凡下(ぼんげ)の人々へ甚大な犠牲を強いただけに、社会の矛盾を深め、鎌倉幕府に対する信用を大きく失墜(つい)させることになり、悪党といわれる反幕府的、反荘園領主的な行動をなす人々を増大させた。