蒙古襲来を機に、九州の御家人を指揮統率するために、北条氏一族が派遣された。建治元年(一二七五)、北条実政(十七歳、のち鎮西探題)や北条宗頼の下向、弘安五年(一二八二)の北条時定(為時)の鎮西奉行着任によって、少弐・大友・島津氏が任命されていた前・中・後三国の守護職はしだいに北条氏の手に移り、各国の公領・荘園も、交通の要衝の地を北条氏によって掌握されていった。
豊前国も、北条一族の金沢氏に与えられ、その一族は、豊前国を拠点として、糸田氏・規矩氏を称し、隠然たる勢力を築いていった(第3図参照)。
第3図 豊前国の北条氏所領