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国人の被官化

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大内盛見時代に、豊前では、築城郡代に吉岡大炊助種俊(当町吉岡を本貫とする在庁官人大蔵一族カ、『到津文書補遺』二八・二九号)、上毛郡代に荒巻掃部助行宗(宇佐姓友枝氏一族カ)、下毛郡代に野仲能登守弘道を任じ、その被官を郷役人として、下地の打ち渡しや、紛争地の点定(てんじょう)(没収)を行っており、宇佐郡でも、大内教弘のころ、宇都宮一族佐田氏を郡代としているように、国内の武士を郡代や段銭奉行などの役人に任じ、大内氏の被官として、主従関係を強固なものとしていった。