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大内政弘の豊前・筑前奪回

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文明八年(一四七六)八月、将軍と和睦した大内政弘は翌年十一月帰国し、失った旧分国の奪回にとりかかった。文明十年八月、自身豊前へ渡り、九月、太宰府で抵抗する少弐教頼を斬って、豊前・筑前を平定した。
 九月二十五日には、杉彦六重治へ本領仲津郡石王丸五町地などを還補(げんぷ)するなど、知行宛行を発表し、十月三日、少弐方として行動した仁保新右衛門尉弘名が彦山座主頼有の計略で捕らえられ獄門に処せられた。
 この月、太宰府の大内政弘のもとへ、続々と入国の祝言を述ぶべく出頭する者や御使がやってきた。その中に豊前国分寺住持(神代(こうじろ)左馬允貞賢(さだかた)の弟)、守護代杉伯耆守武勝、鈴隈寺住持、馬ケ岳城督右田弥三郎弘量(かず)、佐田因幡守忠景、仲間若狭守盛秀、彦山座主頼有法印とその子息帥(そち)律師の名があった(『正任記』)。