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彦山焼失

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天正九年(一五八一)には、兵火によって、開闢(かいびゃく)以来初めて、宇佐宮と彦山が焼亡した。大友「国家」崩壊寸前の悪あがきでもあった。
 彦山は、天正七年正月、座主舜有が秋月方に降り、政所坊連長と伊良原因幡守を人質として差し出し、秋月種実の三男竹千代を養子とする約束を交わした。
 天正九年十月八日、日田・玖珠郡衆が彦山を包囲し、別府口・落合口・玉屋口から攻め登り、大講堂に陣をとり、下宮座主舜有を西谷の上仏来(かんぶく)山へ追い上げ、十一月三日、一山ことごとく回禄(焼失)した(第8図参照)。

第8図 彦山奉幣殿