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龍造寺隆信戦死

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天正十二年(一五八四)三月、竜造寺隆信が島原半島で島津軍に包囲されて自殺した。竜造寺隆信と同盟していた秋月種実は島津方に降り、毛利氏とも連絡をとりながら、豊後侵攻の計画を進めることになった(天正十三年四月二十六日)。
 天正十三年八月、島津家久が豊後境まで北上してきたため、豊後国内に動揺が起こり、島津方に寝返る者が出始めた。この年十一月、豊後直入郡の大友一族入田丹後入道宗和は薩摩の新納(にいろ)忠元から調略の使節を受けて、通謀する旨の誓詞をもって、これに答えた。